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村育ちの僕が東京に憧れた話|杉山社長・前編

杉山社長のロングインタビューです。生い立ちや創業の経緯をお聞きしました。

杉山社長のプロフィール
東京の不動産ベンチャー、株式会社プラン・ドゥ代表取締役。リクルートグループを経て2003年に創業。秩父の山奥出身で、テニスが趣味の元気な社長。

人口1万人の村で東京に憧れる。

ー杉山社長はどんな少年時代を過ごされたのでしょうか?

出身はスゴい田舎なんです。埼玉県の秩父にある人口1万人の村で育ちました。周りは畑と山ばかりで、DASH村みたいなところですよ(笑)。草野球したり、カブトムシとか魚を捕まえにいったり、冬になればソリで山を滑ったり、そんな遊びに友達と明け暮れていました。

ー東京ど真ん中のベンチャー社長のイメージが強いので、村育ちとは何かとても意外に思えます。

でも年頃になって、僕は東京への憧れを抱きました。だから高校はその中間ステップとして、ちょっと都会な熊谷の高校に進学しました。熊谷が都会?と思われるかもしれませんが、僕の地元からすれば十分に都会だったんです。

ー東京生活への準備を進めていたということですね。

いま思えば馬鹿な話なのですが、「東京の大学でテニスサークルに入って遊びまくりたい」という憧れもあって硬式テニス部に入部したぐらいですから(笑)。東京への憧れは本当に強かったんですよ。

立教大学に進学。念願の東京ライフがスタート。

ー東京での生活して実際どうでしたか?

そりゃあとても楽しかったですよ!やっと東京に出れたんですから!テニスサークルを中心に毎日遊びまくっていました。寝る時間がもったいないので、昼間に遊んで、晩は夜8時から朝8時までの深夜バイトをしてお金稼ぎしていました。遊びながら稼げる!と考え、冬はスキー場のペンションで住み込みのバイトもしていました。

ーすごいバイタリティですね・・。原動力は何だったのでしょうか?

念願の東京生活っていうのもありますけど、スケジュール帳に予定が無いっていうのがイヤだったんです。全部ギッシリ埋まっていないと何か気持ち悪くて。

ー経営者になる人はそういう方が多いですよね。ちなみに授業は・・?

遊びばっかりでしたので、授業は全然行ってませんでした。1年生で14単位しか取れなくて、「卒業までにあと10年かかるなぁ」と嘆いたのを覚えています。結局ちゃんと卒業できたんですけどね。

社長になりたいと思った20歳の僕。

ーでも遊んでばかりで、将来の心配とかはどうだったのでしょうか?

印象に残っている事件があります。ある日、社会人になったテニスサークルの先輩がやってきて、昔はカッコよくてキラキラ輝いている先輩だったのに、とても疲れた顔をされていたんです。そして、

「おまえたちも卒業したら”しがない営業マン”になるんだぞ」

という力の無い言葉をかけられてですね・・・。

ー先輩のギャップ。衝撃的だったと思います。

なんかイヤな気持ちでした。「俺は将来こうなりたく無い」って心の底から思いました。今でも鮮明に覚えています。

ーその一件で自身の将来を考え始めたのですね。

そうですね。それと同時期に、ちょっとした起業を経験したんです。全く上手くいかなかったのですが、経営の面白さに触れることができました。そこにそのテニスサークルの先輩の一件もあって、20歳のときには「社長になりたい」と決意していました。


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